お盆休みも終わり、日常に戻りました。
今年の休みの過ごし方は、職場の同僚やお客様からお話しを聞くに、やはり例年とは異なったようです。
「コロナ」が世間を混乱させるようになって、久しいです。
新型コロナウイルスを時系列で振り返ると、
2019年12月 中国の武漢市で発生し、武漢から世界に広がっていっていきました。
2020年1月16日 日本で最初に新型コロナ患者が報告されました。武漢市からの帰国された方でした。
2020年1月21日 あたりから、クルーズ船の話題が出始めました。
以降、大きく報道されるようになり、日本国内でも感染者が相次ぐようになりました。
この時期の自分を振り返ると、
どこか他人事だったように思います。全国での感染者が確認された時でさえもまだ他人事だったように思います。
3月18日に福井での初めての感染者が発表され、福井県内で感染者が増加したときに、初めて自分事になったように思います。
話を変えまして、
タイトルにあります「黒船」ですが、
国内に大きな衝撃をもたらす、海外からのモノやコトを例えで、よく耳にするワードです。
語源(?)となった出来事は、
1853年にアメリカのペリー提督が率いる艦隊が浦賀沖に来航し、幕府、日本が大きく揺れた「黒船来航」です。
「黒船はいきなり、来た!!」
という認識を持っておられる方が多いですが、
実際は、当時の政府であった江戸幕府は黒船が来航することを事前に知っていました。
1年以上も前からです!!(兆候は7年以上前からありました。)
事前に知っていれば、何か準備も出来そうですが、
幕府は問題を先送りしました。有効な対応策を打たなかったことでその後の交渉で極めて不利益な立場に立たされました。
そして、結果的に、日本国内で討幕運動が起こり、江戸幕府は瓦解しました。
現代の話に戻ると、
中国で新型コロナが確認された時に、クルーズ船の話題が出た時に、
そもそも、新型コロナが確認される前から、
やるべきことを準備、着実にやってきた国や企業が高い評価を得ました。
逆にコロナ禍での対応において、遅滞や混乱が発生した国や企業は評価を落としました。
ある記事では、コロナ禍において、従業員およびその家族への安全への配慮、リモートワークへの対応等で評価を上げた会社は、「準備運動」と「柔軟運動」が出来ていたとのことでした。
コロナ前から、行ってきた
デジタル化の推進や多様な働き方に対応した社内制度や評価制度の導入推進等の「準備運動」、
働き方改革への対応や多様性を認める組織風土の構築等の「柔軟運動」
がコロナ禍での対応への高い評価に繋がったようです。
「言うは易く行うは難し」ですし、
過ぎてしまったことをどうすることも出来ません。
自分自身も身に迫るまで、「対岸の火事」扱いでコロナを見ておりました。
これからでも、挽回がする余地はあります。
コロナ禍はまだまだ続きますし、
コロナ前のような日常は戻ってきません。
「コロナ」も「黒船」もどちらも脅威であることは事実です。
でも、あのタイミングで「黒船」が襲来しなければ、
今の日本が存在しなかったように、
「危機の襲来」がその後の発展に繋がらずこともあるはずです。
いつか、振り返って、
コロナのおかげで、「今がある!」になったと言えるように、